恐れのないところに真の愛が生まれる: アンマ71歳の誕生日メッセージからの抜粋

アンマは、宗教的戦争や大量虐殺の暗い風潮にではなく、あらゆる街角から聞こえてくる思いやりや心の広さの呼びかけに耳を傾けましょうと、おっしゃいました

 アムリタワルシャム71において、アンマは、世界は戦争と自然災害の恐怖にとらわれているが、人々は真の幸福を選択肢として持っており、他人の痛みを理解し真剣に解決策を探ることにより、共に世界の平和と平等をつくることができる、とおっしゃいました。

 ヴェーダには、すべての国、文化、信仰のための祈りのマントラがあります。「すべての人が平和に暮らせますように。すべての指導者が公正に統治しますように。生きとし生けるもの全てが幸せでありますように。智識、識別、正直さをあたえられた人々が満足して満ち足りますように。適切な時に、太陽が輝き雨が降りますように。大地が植物を育みますように。貧しき者が繁栄し、賢き者は恐れ無くありますように。このように、全世界が幸せで満たされますように」。

 このような世界になるために、私たち皆が切なる熱意を持ち、力を尽くし、祈りを捧げるべきです。しかし、私たちはそのようにしているでしょうか?今日、世界は困難な時を経験しています。それはどこか一つの場所や分野で起きているのではなく、あらゆる場所で起こっているのです。
 今日、世界のすべての国は、戦争をしている国と戦争の準備をしている国、という二つのカテゴリーに分けられるとアンマは感じています。先進国と発展途上国の双方が、多額の予算を武器備蓄のために割り当てています。

 私たちは皆お互いの欠点を見つけ、批判し、他人を排除する達人なのです。私たちの典型的な態度は、「私は何も悪いことはしていない。すべては私以外の人たちのせいだ!」

 自身を内省し、正直に自分を評価して行動を変えようとする人はいません。その結果、愛をもって他の人を見ることができず、自然に敬意を示して守ることもできません。


 世界が危険な道に突き進んでいることに対し、多くの議論がなされてきました。しかし私たちは、識別力を伴い、充分な警戒心を持って行動するまでに至ってません。世界に対する私たちの態度はこのようなものです。「世界の状況は深刻だけれど、心配することは何もない」。

 地球温暖化と気候変動の解決のための大規模なシンポジウムや会議が開かれています。しかし一方で、私たちは森林、山や川を破壊し続けることに躊躇していません。

 私たちは温室効果ガスの排出削減の議論を大々的にしながらも、同時に多くの工場を建設しています。工場からの煙と廃棄物は空気、川や海を汚染しています。人々は真理と正義についての熱のこもったスピーチをすることに関しては名人なのです。

 しかし、そのようなスピーチをしながらも、その同じ人が偽善的な行為をすることをよく見かけます。アルコールやタバコの害について声高に警告し、同時にGDPを上げるためにそれらの生産を増量するのです。そしてそれらの新しい販路を見つけ、人々に買わせるようにするのです。

 たしかにGDPは重要ですが、世界と自然、および社会が健全に存続していくことの方がはるかに重要です。したがって、この状況になんらかの調和をもたらすことが必須なのです。

『今の世界では、すべての国は二つのカテゴリーに二分されます。戦争を行っている国々と戦争の準備をしている国々です」
ーアンマ

 世界の人口増加に伴い、食料不足と餓死が起きました。科学者は思いやりの気持ちから、解決策を見つけようと努力しましたが、これも最終的にはビジネスにつながってしまいました。

食糧の生産性を高めるために、5%という化学肥料の許容範囲を超えて、農家は25%の化学肥料を使い始めました。飢餓を防ぐために、今度は私たちは毒を食べ始めたのです。飢餓を緩和するための道具が死への道具となった訳です。

 自然を搾取し、科学技術を悪用し、金持ちと貧乏人の格差は広がり、社会で起こる残虐行為は制御不能に陥っています。そんな時に、一つだけのグループの視点を取り上げ、その考え方のみが正しいとして支持されると、知識と見識ある者ですら、それに対して発言するのを恐れるのです。

 それはダルマではなく、アダルマです。それは利己主義であり、臆病です。恐れの根本は利己主義にあるのです。

 恐れの無さは無私から生じます。恐れから前向きさや善は生じません。すべての善は、無私と恐れの無さから生まれるのです。本当の愛は恐れの無さから生まれます。この愛から、善が輝き新しい創造が生まれ出るのです。

 利己主義は恐れです。それは暗く、私たちのエネルギーを飲み込んで枯渇させ、弱く無力にし、個人と社会を破滅させます。人は名前、名声、地位への欲に溺れ、狂ったようになってしまうのです。

 生存するためには、ある程度の自己中心性は必要ですが、しかしダルマは常に維持されなくてはなりません。私たちは立派であり尊敬されることを熱望しています。でもそれを追い求めているうちに、私たちは自身の自己から遠ざかってしまっているのです。

 そうではなく、自己を見つけようとしなければなりません。己れの真を覚らねばなりません。そうすれば、私たち各人は自然と尊い人になれるのです。外見は美しくとも内側の性質が汚れていたなら、自分自身だけでなく社会へも絶えず問題を引き起こすことになるのです。

 他のすべての決意と同様に、幸せであることも決意です。状況がどうであれ、幸せと勇気を持ち続けることへの確固たる意志を持ちましょう。泣いても笑っても、日々は過ぎて行くのですから。

 世界は幸せと悲しみで作られています。どんなことだって起こりえます。私たちがダルマを捨てた時、ダルマも私たちを見捨てるでしょう。ダルマ、愛、忍耐、慈悲、調和、年長者への尊敬、謙虚、規律などの資質をあなたの日常生活へ取り入れるようにしましょう。

 他人を理解し、彼らの痛みや問題を学び、真剣に解決策を探らねばなりません。そうすることでのみ、私たちは人道的と言えるのです。

 生計をたてるための教育と人生のための教育があります。生計のための教育は学術的、物質的な成功のために不可欠です。しかし人は精神の平和のために何をしますか?人生のための教育も同様に必要なのです。生きることとは、身体のみに関わることではなく、心からの影響も大きくあるのですから。

 まるで蔓が広がるように、ハートの中で愛が芽吹いていくと、人はもらうよりも与えることでより大きな喜びを得て広がります。私たちはすでに愛という宝を持っているのに、そうと分からずにいるのです。しばしば、自己の内にある愛の存在に気がつかないでいるのです。

 愛は最も強力な武器となり、最強の敵であっても武装解除させることができます。また愛は、一本のロープとなり、永遠に解放されているはずの神でさえも縛ってしまいます。愛は世界共通の通貨のように、あらゆる場所でどんな時も受け入れられます。愛は、ズボンの後ろポケットにひっそりと入れておくものではなく、私たちの行動を通して全方位に広げていくべきです。

 愛が体現されるとき、私たちの五感すべては愛の表現のための架け橋となります。愛は悲しみの究極の薬であり、孤独を支える硬く強い鉄の梁であり、人生の成功を計る唯一真の計器です。他のすべては失われていくものですが、愛は永遠に続きます。時間でさえも愛が残した足跡を消すことはできません。

 マハートマが肉体を去った後でも記憶され続けている理由がそれなのです。私たちはマハートマの善い行いを記憶し、彼らの教えた原理に従います。亀は砂に這った跡を残します。同様に私たちが世を去る前に、良い記憶の印を残すようになりましょう。

 人は鳥のように飛び、魚のように泳ぐことを学びましたが、人として歩み、生きる方法を忘れてしまいました。社会は深く眠りこみ、無知と利己主義がのさばり人々は悪夢にうなされています。私たちはこれが現実だと誤解しながら生きています。そんな時、学びを極めた正しき賢者は「目覚めなさい!」とはっきりと宣言するのです。

 このような状況においては、「暗闇」を暗闇として、「夢」を夢として明確に分け、皆で賢者のメッセージを聞くようにしなければなりません。そのような機会に賢者が示す無私無欲と恐れの無さは、社会を救うのです。賢き人たちが、その義務を見捨て逃げることが決してありませんように。

 戦争や果てしなく続く紛争よりも、忍耐、愛、譲り合いによって私たちの態度と行動を導くようにしましょう。宗教的戦争や大量虐殺の暗い風潮にではなく、あらゆる街角から響き聞こえてくる心の広さや思いやりの呼びかけに耳を傾けましょう。

 私たちすべてが、自然を搾取したい欲望を捨てられるよう油断なく気をつけていられますように。なぜならそうしないと、生活、愛する人、富など、私たちが大切にしているもの全般に悲劇的な影響を被ることになるからです。私たち一人一人が、苦しんでいる人々へ癒しの手を差し出すことができますように。そうして、皆が平和と幸せを見いだすことができますように。

Real love is born from fearlessness: Excerpts from Amma’s 71st Birthday Message  - Amma.org

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