2024年 アンマのヴィジャヤーダシャミ・メッセージ − 豊かさ、健康、智識〜幸せで平和な人生を送るための鍵
2024年10月13日、アムリタプリのアシュラム - ナヴァラトリ祭
ヴィジャヤーダシャミのアンマのメッセージから抜粋
"ナヴァラトリの期間中、私たちは女神の子宮にて、宇宙を紡ぐ無限の力を、感覚のある物も無い物もすべてが創りだされ維持される力を礼拝します。この神聖な力をドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティのお姿の中に見て、これら女神を礼拝するのです。"
"日常生活においても、家族の中で柱となって力を発揮するのは母です。母親は、子供へ人生最初のレッスンを与え、強い心、善い価値観、豊かな精神性を教え与える人です。この母性の概念を宇宙的に具現化したのが、女神ジャガダンバーであり、宇宙の源や原因を現しています。"
"ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティは人間が持つ三つの力を表しています。それはニャーナ・シャクティ=知識の力、イッチャー・シャクティ=意志の力、クリア・シャクティ=行為の力です。女神ラクシュミーはイッチャー・シャクティを、女神ドゥルガーはクリア・シャクティを、女神サラスワティはニャーナ・シャクティをそれぞれ表しています。"
"何か行為を行うためには私たちの行動器官に力がなくてはなりません。富を得るには心と欲望が力をもたねばならず、智識を得るにはハートが開いてなくてはいけません。"
"どんなに健康であり、富を持ち、教育を受けたとしても、他人を幸福にするために必要な愛、忍耐、慈悲を与えられるのは智識のみです。私たちは心を浄化し、一意専心し無知を滅ぼさなくてはなりません。心はしばしば湖や鏡に例えられます。湖の水が泥水だと湖底は見えません。太陽も水面にきれいに反射することができないでしょう。同じように、物質的欲望と利己的想念の曇に覆われた心では、明晰に思考したり、自分の欠点を認識したりできないのです。汚れた鏡が自分の姿をはっきりと映さないように、不純な心は本来の自己の光を適切に反映させないのです。私たちといえば、他人の欠点を裁く裁判官のようであり、自分の欠点に関してはまるで弁護士のように弁解します。私たちが鏡を見て自分の顔をできるだけきれいにしようとするように、自分自身の欠点も直そうとするべきです。また、心の内なる傾向をよく見つめ、心を浄化する知恵を持つべきでしょう。"
それからアンマは、この吉祥の日において、平和と幸福に満ちた人生を送るための決意を、年間を通して実践するべきリストとして表し、私たちの人生への祝福となさいました。
ヴィジャヤーダシャミの決意
第一の決意 自分はこの朽ちて行く肉体ではないという真理をかたく心に確立しなさい。「私はこの身体に表現された至高の真我である」という確信が深く根を張るとき、あらゆる制限を超えていくことができるようになります。
第二の決意 自分と分離している人は誰もいない、という真理に確立しなさい。私たち全員が一つなのだと考えなさい。たとえ全ての人を愛することができなくとも、少なくとも誰かを憎んだり、怒ったりしないように。その人のレベルのままその人を受け入れるよう決意しましょう。
第三の決意 人生が期待したように進まないとき、心乱さず穏やかにいます。自分の元にやって来るもの全てを受け入れる態度を養いなさい。人生の不確実性を楽しみなさい。
第四の決意 人生における目標をもちなさい。その目標を心に留めながら、今の瞬間に注意を集中しなさい。
第五の決意 常に前向きに考えなさい。自分が創造する内面の世界がまさに、自分の外側の世界となるのだと認識しなさい。
第六の決意 他人と交流する際には自分の言葉に気をつけなさい。自分が話をする時には何がその口をついてでてくるか耳を傾けなさい。
第七の決意 前向きな決意を心の中で反復しなさい。行為をする時には、祈りを込めた態度をもって行うようになさい。
第八の決意 瞑想と思慮深い沈黙にかなり大きな時間を確保しなさい。その二つがあなたの内面の強さを育てる助けとなるでしょう。
第九の決意 他人の過ちを許すよう努めましょう。それと共に、あなた自身の過ちも許し、それを直そうとしなさい。
第十の決意 自分の心を観察し、内省しましょう。毎日歯を磨くのと同じように、自身の心もきれいに保つようにしなければなりません。
第十一の決意 自分の身体の健康に注意を払いなさい。適度に運動し、規則正しい時間に適度に食べるように。それを実践することを強く決意しなさい。
第十二の決意 自己批判を放棄し、自身を愛しなさい。
第十三の決意 いつでもできうる限り人を神の顕れと見なし、それにふさわしく人を愛し、それによって謙虚と忍耐という基本的な性質を築くようにしなさい。
"私の子供たちがこのような祝福された人生を送ることができますように。これが、聖なる母の原理を通して、私たちが思いだし、育み、目覚めさせ、生活に植えつけるように、励まなくてはならないことです。私たちすべてがこれを得られますように、そしてその達成のために神の恩寵が私の子供たちに与えられますように。"