2022アンマ誕生日メッセージ / 私達が望んでいる変化を皆で世界にもたらしましょう

子供達よ、あなた達の眼差しが慈悲へ溶け入りますように。深く垂れたこうべに謙虚さが宿りますように。手は人々への奉仕に浸り、足はダルマの道を歩みますように。

2022年10月13日 アムリタプリにて - アムリタワルシャム69

アンマ69歳のお誕生祭がアムリタプリのアシュラムにて簡素にお祝いされました。その日はメインホールでのホーマで始まりました。ガナパティ、ナヴァグラハ、ムリットュンジャヤなどいくつかのホーマが執り行われました。

スワミ・アムリタスワルーパナンダ・プリが聴衆に講演をし、心うたれるアンマの慈悲の行いの実例をいくつかお話しなさいました。

スワミジのお話の後アンマがステージへ登場なさり、満杯になったホールの皆へご挨拶なさいました。アシュラムの若者達がヴェーダを詠唱する中、スワミジがアンマのパドゥカプージャを執り行いました。

祝賀のスピーチとして、アンマは多くの帰依者がコロナ禍でアンマに会うためにどんなに大変な思いをしているかをお話しなさいました。「アンマはたくさんの子供達が、過去の2年間もそうでしたが、また今年もアンマに会えなくて悲しがっているのを分かっています。」とおっしゃっいました。「たとえそうであってもアンマはあなた達の愛と献身を分かって感じています。そしていつもアンマの思いの中に ーアンマのハート、アンマの記憶、アンマの祈りの中にみなさんがいつもいます」

多くの帰依者が自分の誕生日にアンマへ何か贈りたいと願っているのを分かっている、とおっしゃっいました。アンマは3つのことをして欲しいと提案なさいました。「種と土と肥料を紙で包み、家の周りでも木々の生えている場所でも、芽が出そうな所へこの種のボールを落としてみて下さい。苗を植えることができるなら、よりよいでしょう。この行為はアンマへの素晴らしい贈り物となるでしょう。

2つめにお願いしたいことは、自分の誕生日に1kmの土地を掃除して欲しいのです。掃いてゴミを回収して下さい。アンマのアシュラムの子供達がゴミの処理について教えているので(分別、処理、再利用など)どうすればよいのか分かりますね」

3つ目はカープーリング(自動車の相乗り)でした。アンマは今まで15年の間、帰依者へこれを実践するようにお願いしてきました。

「通勤時にあなたの自動車にせめてもう2人を同乗するようにしてみてください。でも全くの見ず知らずの人ではなく、自分の安全はちゃんと確かめるように。またお寺やこのアシュラムへ来る際にも同じようにカープーリングができますね」。アンマは、カープーリングでお金を節約し、ガソリン使用量が減ることで環境への公害を減少させ、交通量や交通事故も徐々に緩和させていくと指摘しています。

アンマは続けておっしゃいました。「多くの人達が自分の薬、たとえば糖尿病や高血圧などの病気の薬を買うお金がありません。特に退職後の人達はそうです。もし家族が4人いれば、最低3人が何らかの薬を飲まねばならないような病気を持っています。コロナ禍で多くの人達が仕事がなく、その結果、多くの家族が常用している薬を買う余裕がありませんでした。この為に脳卒中で倒れたり、死亡した人たちもいました。一日薬を摂らないだけで重篤な事態になり得るのです。アンマはコロナ禍で起きたこのようなケースをたくさんを聴きました。カープーリングで節約できたお金でこのような人達が薬を買うための援助もできるでしょう」

外国での多くの帰依者たちは、カープーリングのシステムを利用できるようになってきているが、インドではまだ実際にはそうなってはいない、とアンマは指摘されました。「他の人達の見習う模範となるよう皆で頑張りましょう。」さらにおっしゃいました。「私達が望んでいる変化を皆で世界にもたらしましょう」

「あらゆるものは変化していきます。この変わりゆく世界で普遍的であるものをしっかり受け入れなさい」

それからアンマはおっしゃいました。「アンマは子供達皆が無私の奉仕を行なおうとしているのを知っています。できるだけ貧しい人々に食事を提供したり、周囲を清掃してきれいにしようと努力していますね。でも私達はもっとできるとアンマは感じるのです。自分達の誕生日を世界へ奉仕するための日となるようにしてみましょう」

サットサンガでは、アンマは人々がどんなに自然に頼り支えられているか、そして自然を通して神が私達をどんなにか加護してくださっているかを自覚することが大事である、とおっしゃいました。「この世界で、私達は自然からの豊かな恵みと喜びを享受して生きていますが、意識的か無意識か、人間が犯しがちな誤りが一つあります。私達が受けてきた自然の恵みは人智を超えた力、神からの贈り物であるということを忘れているのです。自然とは神の反映であるという真理を忘れ、自然のとてつもない力を忘れ、そしてさらに何よりも、生きることの基盤である真実の愛を忘れてしまっているのです。せわしない日常で神と自然を忘れてしまっているのかもしれませんが、決して愛を忘れてしまってはなりません。何故なら本当の愛があるなら、神と自然は私達に恩寵の慈雨を降り注いでくださるからです。こん日、人類全体が記憶喪失に捕らえられているかのようです。人は健全で美しい人生を送るための全てを忘れてしまっています」

アンマはまた、この世から100%の幸せを得るのは不可能であると注意されました。「永遠の幸せをくれる物はありません。それらは全部心しだいなのです。あなたの人生を他人の言葉に依存させてはだめですよ。しっかりと自分自身であるように。今日の友は明日の敵になるかもしれません。今日は善人でも明日は悪人になるかもしれない。あらゆるものは変化しています。この変わりゆく世界でも、普遍的であるものをしっかり受け入れなさい。あなたは鏡で見える外側の姿としてのあなたでは無いのです。内側を写す鏡を使ってよく内面をみて、汚れをきれいに落としなさい。これが私達の哲学が教えてくれていることです」

アンマは続けておっしゃいます。「誰でも比較的に幸せで平和な生活を望んでいますね。でもそれが起こるには、神のご意志に従い、そのご意志と調和するように自分の生き方を正していかねばならないのです。もしそうするなら、大いなる流れに調和して人生が流れていくことでしょう。もし無視するなら水に浮かんだり沈んだりのような人生を送らなくてはなりません。生き方の選択は自身で決めるのです」

アンマはまたシュラッダ ー細かいことへ気づき、意識とともに油断なく注意深くあること、の重要性についてもお話しされました。「どんな行為でも意識を伴えば瞑想になります。懐中電灯を点けるにはボタンを押しますね。同じようにシュラッダのボタンを押せば私達に意識の明かりが灯るのです。私達が知っているシュラッダは"注意深く"という意味合いだけで、意識の要素が入っていません」

アンマは続けておっしゃいます。「いったん霊性の原理を理解すると、例えば昼と夜、雨と晴れ、冬と夏など、物質的世界での自然摂理の全てを受け入れるようになるでしょう。もし欲望があるなら悲しみがあるでしょう。好きがあるなら嫌いがある、このようにしてもの事が起こっていくのです。困難が起きた時、私達の前世での行為の結果だと考えることもできますし、未来に起こりうる困難への警告として注意することもできますし、また神の御心により大事が除かれ小事となったと考えることもできます。私達は神に強くしがみつくことを学ぶべきでしょう」

アンマはまたどうやって愛を広げ育て続ければよいかをお話しになりました。「私達のほとんどは愛の一番下の段にいます。アンマはこれは愛ではないとは言いませんが、そこにずっと留まっていてはなりません。一歩一歩段をのぼって愛の頂上へ辿り着くのです。これは最も純粋な愛です。今でさえそれは私達の内にあり、それを目覚めさせる努力をする必要があるだけなのです。この愛に目覚め、普遍的愛となって人類全体に広がっていきますように!これこそが最も素晴らしい人生の恵みです。愛の具現者となるのです。愛が内に目覚めると慈悲、犠牲、喜びが自然に湧き上がるように起こります。愛はどんな醜いものにも美しさを見ます。愛がハートから流れ出る時、私達の周りには平和の花が咲くでしょう。調和というアイライナーで目を美しくしたら、違いなど全て消えてしまいます」

アンマはこうおっしゃってサットサンガを閉め括りました。「子供達よ、あなた達の眼差しが慈悲へ溶け入りますように。深く垂れたこうべに謙虚さが宿りますように。手は人々への奉仕に浸り、足はダルマの道を歩みますように。耳は世の不幸の悲しみの声を聴く用意ができていますように。舌は常に親切な言葉と真実を語りますように。アンマはパラマートマに祈ります。このようにアンマの子供達が生きることで彼らが世界への祝福となりますように」

アンマは瞑想を誘導され世界平和の祈りを捧げられました。それから喜びを込めてバジャン「マタラニ」をリードされ皆と歌いました。 何千もの人々がアンマへ敬意を捧げるために来場し、その後もずっと夜遅くまで、アンマは全員へ一人一人ダルシャンをお与えになりました。