シュリー・ラーマ〜ダルマ(正義)と価値観のすばらしいロールモデル
アダルマ(不正義)を打ち負かすことがアヴァターラ(化身)の第一の目的なのではありません。彼らの一番の目的は、人類のハートの中に神への信仰を育むことなのです。

2014年4月15日

子供たちよ、アダルマ(不正義)が頂点に達してダルマ(正義)が消えてゆくとき、アヴァターラ(化身)達がダルマを護持するために生まれます。何千年も前に、シュリー・ラーマはチャイトラ月の9日目の日に人の姿として生まれたダルマそのもの、ダルマの化身と信じられています。

アヴァターラは人類に自分の人生を通して教えます。ですから、彼らには限界があります。彼らは、他の人達とまったく同じように試練や障害を乗り越えねばならないかも知れません。それを通して彼らは私達に、問題を避ける方法を教えるのではなく、様々な問題のまっただ中の状況でさえ、どのように自分の理想や価値観を守るかを教えるのです。彼らは、人生の試練に精神の平静を保ちながらどう向き合いあうかを、私達に教えるのです。それによって、他の人達もまたダルマの道に沿って生きてゆくように触発を受けるのです。

たくさんの人が尋ねます。「もしもラーマが全知の神だったら、どうして彼は金色の鹿を追ってしまったのか?魔女マリーチャの幻想の罠だとは気がつかなかったのだろうか?そのせいで、魔王ラーヴァナはシータ妃を誘拐することができたのだ」と。人間の性質を理解しながらも、シュリー・ラーマは人間として生まれることを選んだのです。そのため、他の人間と同じように、彼も英知と無知、強さと弱さを合わせ持って表現しました。ひとたびゲームが始まれば、途中でルールをわけもなく変えることはできません。

そのことでアンマはあるお話を思い出します。あるとき王子がお城の庭で、友人達とかくれんぼをしていました。王子はこの遊びにすっかりと楽しく夢中になっていました。他のことは何もかも忘れて、友達を熱心に探していました。どんなに探しても、王子は一人も見つけることができませんでした。子供たちの遊びを見ていた一人の召使いが、王子に尋ねました。「友達を見つけるのに、どうしてそんなに苦労なさっているのですか?王子様が出てくるように命令をすれば、みんな隠れたところから出てくるではないですか?」。それを聞いて王子はその召使いを気の毒な眼差しを見せて言いました。「そんなことをしたら、遊びが楽しくなくなってしまうではないか?」

すべての人間と変わらず、マハートマ達の人生にも喜びや悲しみ、困難や限界を私達は見ることができます。彼らはそのように振る舞って、それで他の人達がそばに近寄って心の通った関係を作れるようにしているのです。本当は、アダルマ(不正義)を打ち負かすことがアヴァターラの第一の目的なのではありません。彼らの一番の目的は、人類のハートの中に神への信仰を育むことなのです。彼らは、人を夢中にさせるようなリーラ(戯れ)を通して人を引きつけるのです。

子供の頃から、私達の人生は人間関係の上に築かれてきました。私達の最初の人間関係は、自分の母親とです。それから、自分の父親とです。そして、自分の兄弟姉妹、友人、職場の同僚、知人達と。ですから、私達はそんな人間関係をつくる傾向をもっているから、私達にとって神と関係を築いて神を崇拝することは自然なことです。それをシュリー・ラーマやシュリー・クリシュナが人類のハートの中にそれぞれの場所を獲得したやり方です。彼らを通して、信仰の文化がこの世界に育ったのです。

シュリー・ラーマが自分の人生に起きる様々な状況に、どのように自ら進んで向き合ったか、私達が学ぶべき教訓がそこにあります。個人が自分の両親に、兄弟姉妹に、友人にどのように接するべきか? リーダーが自分に従う者達にどのように振る舞うべきか? モラル上の試練に際してどのように踏みこたえるのか? これらすべては、シュリー・ラーマの生涯から学ぶことができます。シュリー・ラーマは、自分が王冠を嗣ぐことが決まったと知っても大喜びはしませんでした。同じように、王座を失ったときにも、絶望に陥ることもありませんでした。それだけでなく、自分が追放される原因となった父王王妃のカイケーイに対してはただ愛と尊敬しか持ちませんでした。かくして、シュリー・ラーマはダルマ(正義)と価値観の、私達が人生で見習うべきすばらしいロールモデルなのです。