サットグル シュリー マーター・アムリターナンダマイー デーヴィの教え

アンマの教えは、アンマの誕生時から始まります。この世界に沈黙してやってきました。その振る舞いは、よく考える価値のあることです。それがつねにアンマのやり方です。つねに、アンマの生き方が教えとなっているのです。

アンマを見れば、アンマがいつも私たちに育むように勧めている神聖な性質のすべてを体現していることが分かるでしょう。信愛を理解したければ、アンマがバジャンのあいだ流して頬を伝う涙をみてください。世界を無私の奉仕を行うことを学びたければ、一晩1万2千人の人を抱擁するアンマの横に座ってみてください。あなたがサーダナ(霊性の修行)について質問があるならば、アンマがまったく世界から隔絶して海岸に微動もせずに座っていた年々もの時期を想像してみて下さい。そしてアンマがすることは何でも、それは瞑想なのです。静かに座っていようが、何千人もに語りかけていようが、アシュラムの庭を掃き掃除していようが、すべては瞑想です。

アンマは放棄を教えますが、ご自分自身の快適さを考慮することは一切拒むその人生の中においてでのみ、それを説きます。アンマはアドワイタ(不二一元論−全ては一つである)を教えますが、それは、アンマ自身がどんな男性も女性も子供も自分自身とは違う存在として見ることができないという一瞬一瞬のご自身の息づかいの中でのみ説くのです。

まさに行動は、言葉よりも多くを物語ります。それでもアンマの唇から聞こえる真理の言葉は大きなインパクトがあります。何千人もの聴衆への講話であっても、アシュラムの中で親しげなお話の中であっても、アンマのサットサンガ(お話)は、つねに忘れがたいものです。アンマは真理に永遠に立脚していて、それは言葉を超越し、思考を超越しています。それが生まれた時からアンマが私たちに伝えようとしていることなのかも知れません。しかし、アンマがその沈黙を伝えようとするとき、それは思考の形を取ります。そのような思いを集めたものがここに著されています。いつの日か私たちもまたその沈黙を覚ることができるようにと。